立教小学校

立教学院諸天使礼拝堂(立教小学校チャペル)
設計:アントニン・レーモンド
竣工:1966年

レーモンドの建築が好きで、関東に行く機会があれば見てまわっている。フランクロイドライトの弟子として来日し、そのまま日本を主な舞台として活躍したレーモンドは、コルビジェらが活躍するヨーロッパから遠く離れた場所で、地域性にも配慮した素晴らしいモダニズム建築を多数作り上げた。木造、コンクリートを使った構造表現で、世界最先端を突き進んでいたとも言われているが、当時の日本で世界的に評価されることは時代背景を考えるとなかなか難しかったであろう。

立教小学校の遠山先生との縁で、普段は見学できない立教学院諸天使礼拝堂(小学校内チャペル)を見る機会を得た。
RCの登り梁が内部では現しになっているが、他のレーモンド教会郡と同様、感じるのは構造の力強さよりも空間の静謐さである。簡素な木造の札幌ミカエル教会もRCの大空間も、理論的な工法や構造などよりも、感覚的な部分に静かに訴えかけてくる。
しかし美しい祈りの空間を作り出すこの感性の持ち主も、当時のたくさんの建築家や芸術家と同様、第二次大戦の影響からは逃れられない。ユタ州での日本爆撃実験で日本家屋の設計を担当したことが、戦後もどこかレーモンドに影を落としている。

遠山先生が書いた校内報で、大岡昇平の作品について触れている文章があったので、「野火」と「俘虜記」を読んでみた。小林秀雄、中原中也とも交流があり、フランス文学者でもある大岡の文章は、戦場における大岡自身の内部へと心理が向かっており、どこか哲学的でもある。文章が僕にとっては難解な部分もあるので、すべてを理解しうるかは謎だが、主人公がアメリカ兵を打たなかった後、自身の心中に対する考察において用いた歎異抄からの引用「わがこころのよくてころさずにあらず。また害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし」という一文が心に残った。自分が大戦中を生きていたら、果たしてどのような行動を取ったかを、今の時代から遡って考えることは不可能だろう。
終戦から73回目の8月15日を迎えた。戦争を経験している人が、だんだんと亡くなっていき少なくなっているが、聞けるうちに話を聞いておきたい。

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